photo by Ichiro Mishima

かんらん舎(1980-1993)

 

2016年10月12日(水) ─ 11月19日(土)

 

この度ギャラリー小柳では、1980年代にヨーゼフ・ボイスをはじめとする同時代の優れたヨーロッパ現代美術作家を日本に紹介した伝説的なギャラリー「かんらん舎」の展覧会を開催いたします。

 

「かんらん舎」は1980年にヨーゼフ・ボイス展から始まり、1993年のブリンキー・パレルモ展までヨーロッパの現代美術作家を紹介する企画展を精力的に行ないました。オーナーの大谷芳久氏は徹底して同時代性をつらぬき、現在も東京・京橋にて現代を見据えるアイロニカルな企画展を開催されています。今回の展覧会では、かんらん舎のコレクションからダニエル・ビュレン、トニー・クラッグ、イミ・クネーベルの作品を展示致します。すべての作品は制作されてから25年以上の歳月が流れていますが、3人の作品は今なお、見る人に新鮮な驚きを与えることでしょう。

 

奇しくも34年前の10月12日は、かんらん舎にてダニエル・ビュレン展オープンの初日でした。

小柳敦子が敬愛して止まない、かんらん舎 大谷芳久氏の仕事を、ギャラリー小柳フロア移転後初の企画展として皆様にご覧頂けますことを光栄に存じます。

 

 

 

『きれぎれの思い出』——大谷芳久(かんらん舎)

 

 1977年、27歳の時、銀座に小さな画廊を開いて、日本の物故作家の展覧会を行っていたが、1980年、ヨゼフ・ボイスの作品に出会い、以後、ヨーロッパ現代美術の紹介に舵を切る。

 

《壊れたガラス》1982年作 ダニエル・ビュレン

 1982年夏、友人から「秋にビュレンが来日します。その時、画廊で個展することO.K.です」といわれてその気になり、急遽、京橋に場所を見つけ、突貫工事で壁を作ってペンキを塗り、2週間で手作り画廊ができあがった。作家の制作現場に立ち会えることに興奮したが、それはたちまち恐怖に変った。8.7cm幅のストライプが様々な色で塗られたガラスを、釘で壁に留める! 「コンセプトが作品なんだ。割れれば又ガラスを切ればいい。作品は永久に壊れない」とビュレンはいう。そうだと言い聞かせ、私は恐る恐る釘を打っていく。作品は無事設置され初日を迎えた。階段の蛍光灯が切れたので電気屋を呼んだ。カシャーンと音がした。階段の壁に設置された緑の作品の小さな正方形が落ちていた。「割れたっていいんだ。コンセプトが作品なんだ」とつぶやきながら、ガラスを釘で留めた。ビュレン 44歳、私 32歳の秋。

 

《山と湖》1984年作 トニー・クラッグ 

 トニーは海岸や川辺に漂着した木切れや、プラスチック製品の断片を拾い集め、それらを床や壁にちりばめて目を見張るような美しい作品を作るが、部品としてバラバラになっている素材を輸入する時、問題が発生する。当時、美術品の輸入に税金はかからなかった。ところが税関は木材の輸入だとして、送り状の金額に物品税をかけようとする。美術品だから何百万もするので、流れ着いた木切れはただのはずだ。「原産地、木の種類、価格」の問いに、「判りません。ライン川でしょう。ゼロ円」と答え、ブラックリストに載った。美術品かどうかを判断するのは作家でも、学芸員でもなく、税関員だったのだ。トニーと私 35歳の春。

 

《静物》1987年作 トニー・クラッグ

 「ボトルは人体の隠喩なのだ」とトニーは語る。1987年の個展では「卓上に転がしておけばいい」との指示のもとに、磨りガラスの丸底フラスコ、メスシリンダーなど実験用器具が十数個届いた。フラスコも人間の胃の形からデザインされているという。「機能と形」を問う作品だが、卓を大地と見れば、フラスコたちは地上で戯れる人間の姿に見えてくる。

 

《黒い絵》1991年作 イミ・クネーベル

 1991年1月、アメリカ主導の多国籍軍は一カ月に渡りイラクを空爆し続けた。同年、イミは漆黒の《バトル・ペインティング》をニューヨークで発表する。同年暮、イミから出品作を変更すると連絡があり、10点の《黒い絵》が送られてきた。タールの画面上に渦巻く強烈な刻線は戦火に喘ぐ人びとの怒り、悲しみ、嘆きなのだろうか。師であるボイス同様、イミもまた、時の政治状況と無縁に生きてはいない。イミ 51歳、私 42歳の冬。

 

 展示作はいずれも25年以上前の作品だが、「真」はつねに「新」であることを見てほしい。

 

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